アンナチュラル

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2018年1月期のドラマといって忘れてはならないのが
TBS系金曜ドラマ 石原さとみ主演の「アンナチュアル Unnatural Death」だと思う。

このドラマは、「逃げるが恥だが役に立つ」などでいくつもの脚本賞なども受賞した
野木亜紀子氏の初オリジナル脚本作品

元々は女性法医学者が主人公で・・・という設定のみが与えられ
それに野木氏が答える形で、架空の施設「UDIラボ」が設計された。
ここでは、自然不自然にかかわらず運ばれた遺体を司法解剖し、
死因の原因究明に務める。

現実の社会では、このような法医学者は150~170名しか国内にいないとされ、
その場合、単純に計算すると全国の各都道府県に3人ずつしか存在しないこととなり、
ドラマでも語られていたように、不自然死にもかかわらず、
自然死と処理された案件がゴマンとあることは想像できる。

これは現実的な法医学者へに志望者を増やす意味でも重要であり、期待されるべき問題でもある。

そんな現状の中で、
主人公である石原さとみ演じる三澄ミコトは、法医学者として
ありとあらゆる遺体と対話し、その不自然死の謎を探るストーリーが繰り広げられる。

海外ドラマのよう

まず、このドラマの何よりもすごい点は、
まさに海外ドラマのような展開とスケールを持ち合わせていたことである。

キャラクター造形や、セリフ、伏線も含め、海外ドラマを多分に意識している。
それは野木さんもどこかで話していたような気がする。

また、カット割りも含め演出や映像処理も海外ドラマを意識した手法が使われている。
もともと見る前から、科捜研の女にはならないだろうとは思っていたけれど、
BONESCSIなどを意識したドラマになるのかと想像していた。

しかしドラマが始まっていると、主題歌の効果的な使用やエピソードの人間味溢れる姿などは
コールドケースなどの未解決事件と人間ドラマを融合したものにも近いと思った。

第一話からいきなり、MERSなどの大きな大風呂敷を広げたことに衝撃を覚えた。
普通第一話でこんなことしないと思う。それをやってのける力がある。

日本のドラマで、これほど海外ドラマと勝負できるものが生まれるとは思わなかった。


リアルとの境界線

このドラマが話題になった理由のひとつには、
現実の事件や事象の反映と、またそのタイミングと思われる。
これは奇跡としか言いようがないほどのタイミングである。

この脚本については、主題歌を歌う米津玄師氏とのラジオ対談でも話していたが、
昨年中に脚本の執筆を終えている。
なので、リアルタイムでその時に起こっていることを描くことはできない。
ということは昨年中に起こりえることを予感・予言していたといっても過言ではない。

第二話では自殺志願者を扱っているが、これはまさに昨年10月末の座間事件を彷彿とさせる。
もちろんこれも話から想像するとこの事件の以前に書かれている。

第三話では、セクハラというか男女間における問題を描き。
#metooのタイミングにも近い?

第四話では、ブラック企業をテーマにしており、現代の社会の闇を映し出している。
なお、この話で出て生きたロールケーキは実際に番組グッズとして販売中。
数量限定としておりブラックにならない心構えだそう。

第六話では、仮想通貨を巡る事件が起こる。
これがまさにコインチェックでの事件とドンピシャのタイミングである。

第七話では、いじめを扱い。それをネットで中継するというもの。

これらは、仮想通貨は別として、実際問題これまでも取り上げられていた問題ではある。
ただ、それを放送するタイミングがドンピシャ過ぎて驚愕するのだ。

ラジオでも語っていたが、実はどれもテンプレ設定ではある。
自殺志願者やらネット中継などは、いろんな映画やドラマで量産されている。
ただそんなテンプレを使い、このような一時間ドラマで、適量で描く手腕が素晴らしい。
しかも、そこに人間ドラマを落とし込んでいるし、ヒネりも加えてある。

UDIラボという存在

今回、架空の施設を作った理由の一つには、
警察、科捜研などではとらわれない動くを主人公たちにできる設定がある。
だからひとつは警察もののミステリードラマでもあるが、
科捜研的な部分で、解剖やら科学技術を使ったギミックをドラマで表現できる。
それらは視聴者になじみ深さと新鮮さを与えることができる。

テンプレだけではつまらないが、突拍子過ぎてもついていけない。
それがアンナチュラルにならないように、ドラマには落とし込まれている。



脚本について、演出について、そのほかについては
またあとで書こう。とりあえず今回はこのくらいで。

グレイテスト・ショーマン

ポスター

 

ネタバレ含む

CMで一度だけ見た程度だったが、評判などを聞き干渉を決意。

見る前は、そのタイトルの通り、
壮大なミュージカルか舞台を作った男の話で、
それに至るまでの紆余曲折を描くのだろうと思っていた。

しかしそれは、始まって30分ほどで終わってしまう。
どういうことだ…このあと一時間近く何をするのだ
そう思っていたけれど、そこらへんから物語の様相が変化する。

自信に満ち溢れた主人公は、次々と新しい仲間や興行を作り出す。
これまで自分自身も世間に疎まれ、また疎まれた者を使ったサーカスで
成り上がりを見せた主人公だったが、
そのうち「本当」の意味での成り上がりを目指そうとする。

その「本当」とは、上流階級に認められ、強者となることでもあった。
世界一の美声のオペラ歌手を雇い、これまでのサーカスではない、
きらびやかな興行に勤しむ主人公だが、
そこから綻びが出始める。

妻や子供と離れ、オペラ歌手の巡業に同行し、
かつて自分が作ったサーカス団の仲間とさえ離れていく。
視聴者も、途中から主人公に対し、自信家過ぎる、どこか傲慢だと感じ始める。
そして、主人公の成功と反比例するように、
かつて周りにいた仲間や家族たちが、主人公から離れていく様子をうかがい知れる。

自信過剰で、成り上がりだけを目指した主人公をあざ笑うように、
ほんの小さな出来事で、世界的興行は終わりを迎え、
と共にかつてのサーカス団は、言葉通り灰となって消え去る。

失意する主人公だが、そこで励ますのはかつての仲間たち。
そして再起をかける主人公。
そこで「本当」のグレイテストショーを作り上げる。

ミュージカルの力

とにかく、音楽のちからがすごい。
曲のクオリティーについては、完ぺきとは言えずとも十分素晴らしい。
特にアカデミー賞ノミネートの「This Is Me」はやはり素晴らしい。
躍動感、歌詞の内容、そして映像そのものがパワフル。

疎まれてきた人生において、それらを恥じてきた隠してきた自分を
奮い立たせ、怖くない、そんなことを言うやつらに立ち向かう、
己が戦士だと言い放ち、「これが私だと」とそう歌い上げる。
これは特に実際の現実においても、世間から後ろ指をさされたり
生き辛さを感じている人々に共感する歌だと思う。自分もまさにそう。

ミュージカル映画において、音楽というのは当たり前に存在するが
その使い所は難しい。
基本は登場人物の心の声を代弁したシーンに使用される。

だがものによってはそうでない場合もある。
最近見た「ロッキー・ホラー・ショー タイムワープ・アゲイン」については、
ほぼ全面歌押しで、とてつもなくごり押し感が強く疲れ果てた。
オリジナルを見てないがここまでなのかわからないが、
歌が前面に出すぎていても、ミュージカルに慣れていない日本人はきついものもある。

シカゴ、ドリームガールズ、マンマミーア、ヘアスプレー、RENT、美女と野獣レ・ミゼラブル
いくつか見てきたがどれも素晴らしいミュージカル映画だった。
やはりそれは主軸のストーリーを後押しするための音楽であるからだと思われる。

そしてそれはまたある種の力業にもなる。
主人公たちを突き動かすとき、ミュージカルシーンが使われる。
立ち上がろうと決めるとき、しあわせを描くとき、仲間に引き入れようとするとき。

普通の映画では、セリフやト書きでそれらを突き動かさなければいけないが、
ミュージカルシーンにより、それらを強引にストーリーの波を押し流していく。
通常の映画では、それでいいの?とかそんなもんで問題解決?というところも、
ミュージカルがあることにより、それもアリか・・・なんて思ってしまう。
でも、それができることも映画の力ではある。

役者たち

主役のヒュー・ジャックマンは個人そのものを知れば知るほどナイスガイなのだが、
レミゼでも見せた歌唱力と演技力で映画を率いる。
また今回驚いたのは、ザック・エフロンゼンデイヤなど
ディズニードラマ出身の俳優たちの目覚ましい活躍である。
というか、この映画、20世紀フォックスなんだよなぁ。
ディズニー映画でもおかしくない内容である。

20世紀フォックスは、ディズニーがアナと雪の女王でやったような
Sing-Along(一緒に歌おう)をやるほうがいいと思う。
だって口ずさみたくなるし、オーオーって叫びたくなる。
手拍子をあげてみたい。

生きることは難しい。
難しいという言葉で片付けられるほどですらない。
たくさんの傷を背負い、たくさんの失望を経験し、たくさんの夢に破れる。
そこで立ち直れるのは結局自分自身でしかない。
支えてくれる人がいたら遠慮なく手を貸してもらい、
自分で立ち向かうのだ…簡単じゃない…人の何倍も苦労しなきゃならない
あの人がいとも簡単にできることを何十回と繰り返してやっと出来るようになる。
普通、まとも、願うのはいつもそんな言葉。
でも生まれてきた時から普通じゃない、まともじゃないのだ。
なら、まともじゃない人生を歩むのだ。
これからもたくさん傷つき泣いて生きていく。
それでもあなたが生まれたのはあなたの力だ。
あなたはあなたの人生を歩むしかできないのだ。
This Is Me
これが私だと生きていく。それしか道はないのだから。